勝手読み



「まった!」容認論




 我が家の隣に酒屋がありまして、そこのオヤジさんと偶に碁を打つ機会があるんですが、このオヤジさん、あまり感心できないクセを持っています。

 オヤジさんの打った手が私のセンサーにピピッと反応するので、しばし小考の後、さて打とうかと石を摘んだその瞬間、「あっ!、こっちの方が良いかな」などと言いながらオヤジさんは石をずらすのです。
まぁ、このような行為、このオヤジさんに限ったことでもなく、ご近所が集まって開く碁会などでもしばしば見かけますし、また、それをやったからと言って特に誰もとがめるわけではありません。
しかしそれにしても、このオヤジさんはそのタイミングが絶妙なこと・・・。

 ところでこの行為、まだ相手が打つ前ですから、限りなく「待った」に近い行為だとは思いますが、いわゆる「待った」ではないのですね。だからといって、一度置いた石を動かす行為がルール違反であることは間違い有りません。しかし、石をずらすクセを持った人たちにはその認識はないようです。

 昔は「待った」している光景を結構見かけたものですが、最近ではめったに見なくなりました。「待ったは良くない」という認識は、なぜか広く定着しているようです。にも関わらず、石をずらす「待った類似行為」はなくなりません。

 私は「競技としての碁」というものを打った経験がありません。というより、そういう碁を避けてきたと言った方が良いかもしれません。どうも順位を争うような碁が好きになれないんですね。だからいつまで経っても強くならないわけですが、でも、上手くなりたいという欲はあります。ですから、私が碁を打つのは、ゲームをしているというより、次の一手問題集を解いているのに近い気分です。

そういう目から見ると、打った後「待った」される方が、打つ前に石をずらされる「待った類似行為」よりもまだましなのではないかとさえ思えます。なぜなら、打つ直前に石をずらされてしまうと、せっかく考えた手が試せないわけで、そのことが残念でならないのです。後で「待った」しても良いから、とにかく試させて下さい、というのが私の気持ちです。第一、私の打つ手が必ず上手く行くとは限らないですしねぇ。

 まぁ、最近は私の方も慣れてきまして、手がまだ絞り切れていない段階で碁笥に一回手を伸ばし、石音を「ジャラッ」と鳴らすことにしています。オヤジさんはその音を聞いて「こっちかな」なんて言いながら石をずらしますので、それからもう一度考え直すことにしています。さすがのオヤジさんも同じ石を二度は動かしにくいと見えて、次の「ジャラッ」には反応しません。

 しかし、本当はそんな意地悪をせずに、「後で待ったしてもいいですよ、だから打たせて下さい」って言った方が良いのかもしれませんね。でも、そんなことなかなか言い難いんですよ。ご近所だし、楽しみの碁だし・・・。

 そこで、いっそのこと、「
お楽しみ碁ルール」なんてものを作ってみてはどうかと思っているんです。
気心の知れた人たちと普段やる碁は、競技としての碁のように堅いことを言わなくても良いのではないかと思うのです。だから例えば、

  ・
「待った」してもよい。ただし、一手戻す毎に相手に石を2個渡す。
  ・
相手の着手前に石を打ち替えてもよい。ただし、一回毎に相手に石を2個渡す。

なんてのはどうでしょう。結構面白いんじゃないでしょうか。
ペナルティの石数が2個では抑止効果が十分ではないかもしれませんが、それでも少しは慎重になってくれるかもしれません。

 碁は合意に基づくゲームです。もし相手の了解が得られれば、こんなルールもアリかな、と思っています。



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