勝手読み



囲碁のルールと自然の法則



 なんにでも「なぜ?、なに?」を繰り返した子供の頃、青い空に浮かぶ白い雲とか、夜空に瞬く星とか、不思議で不思議で仕方なかった思い出があります。太古の人々もきっと同じ疑問を持ったであろう事は想像に難くありません。そして人々はそれらの不思議を説明する為に様々な神様とか、それにまつわる沢山のお話を生み出しました。(神話の時代)

 なかでも、太陽や月や、季節毎に巡る星座とその上を渡り歩く幾つかの星達の振る舞いは、農耕などとも結びついて人々の生活に深く関わるようになりました。星々の運行の記録が永い時間を掛けて集められ、気まぐれに振る舞っているかの様に見えた星々の動きにも規則性があることが徐々に分かってきました。そして、その運行を予測する試みが行われるようになります。(占星術の時代)

 時代は進み、さらに多くの観測が行われ、より正確な記録が蓄積するにつれて宇宙とか天体とかの概念が登場します。しかし、それらの中心に存在するのはあくまでも人間です。星々の動きを説明するため、地球を中心に各天体が複雑に運動するモデルが作られたりしました。(天動説の時代)

 人々の日常の生活と天動説は非常に相性の良い関係でしたが、それを専門に研究する学者達の中には幾つかの矛盾点を指摘する人達も出てきました。そんな中、地球を中心に据えていては説明が難しい問題を一挙に解決する画期的な発想が生まれます。それが太陽を中心に据えた宇宙モデルです。しかし、このモデルは人間の存在を揺るがす物と捉えられ、人々の非常に強い抵抗に会います。(地動説の時代)

 どんなに「常識」からかけ離れていても、真実はもっとも強力です。多くの証拠が地動説を支持し、人々も結局は受け入れる事になります。ニュートンやライプニッツのお陰で微積分と言う強力な武器が発明され、天体の動きは予測可能なものとなり、新しい宇宙観は一般の人々の間にもすっかり定着します。(古典力学の時代)

 しかし、精密な観測や正確な計算は、またしても例外を見つけだしてしまいます。太陽の一番近くを回る水星が取るはずの計算上の軌道と、実際に観測された軌道とのズレを説明するために様々な仮説が導入されますが、結局どれもあまりうまくいきません。この問題に決着をつけたのはアインシュタインでした。「光の速度を越えるものはない」とか「空間は曲がっている」とかアインシュタインの新しいアイデアは水星の軌道のズレを見事に予測しました。(相対論の時代)

 以上、夜空に瞬く星の不思議をどのように説明してきたかを駆け足で振り返ってみました。

 人々は自然の不思議を説明するとき、その時々の最高の知識と知恵を駆使してきました。そして、新しい現象が発見された場合、それを説明する為に人々はどうしてもそれまでの最高のやり方にこだわる傾向があります。ですから新しい現象を説明するための新しい概念が発明されても、それがよほどの説得力を持たない限り、人々は新しい考え方をなかなか受け入れようとはしません。
人々に新しい概念を広く認知してもらう為には、それを導入する以外に方法がない事を実証するか、その概念の応用が目に見える利益に結びつかないといけない訳です。
少なくともその時の権威が新しい概念を認知しない限り、広く人々から受け入れられる事はありません。


 この、人々が自然を説明してきた足取りが、碁のルールの進化の足取りに似ているような気がするのです。

 普段、素人が碁を楽しむレベルでは、碁のルールは単純です。また、単純なルールでなければ誰も碁を楽しいとは思わないでしょう。しかし、碁の技術レベルが高度に発達するに従って様々な微妙な問題が発見されます。それら微妙な問題一つ一つについて別々に解答(ルール)を用意するのは大変なことです。そこで当然の流れで、発見された様々な問題を統一的に解決する方法を探すことになります。しかし、それまでの「普通の概念」ではどうしても上手く解決できないことが分かってきます。

 そんなとき、自然法則発見の歴史と同様、行き詰まった「従来の考え方」の壁を乗り越える為の「新しい概念」が発明されます。しかし、これもまた自然法則と同様で、新しい概念が一般に広く受け入れられるまでには時間が必要となります。

 現時点でもっとも新しいルールである「日本囲碁規約」には、我々が普段碁を打つときに持っている概念とは少々異なった概念が導入されています。それも「活き石」「セキ石」「地」と言った基本的な概念が、碁を覚えて以来ずっと信じてきた概念とは異なっています。(正確には概念が拡張されていると言った方がいいかもしれない。)
また、「対局の停止」から「終局」までの、言ってみれば「終戦処理期間」が導入されていて、その期間だけに適用される特別ルールが定められています。
これら、拡張されたり新たに導入された考え方は、従来の考え方が染みついた多くの人の頭にはなかなか受け入れがたい物である事は否めません。
しかし現時点では、過去に発見され、実戦ではめったに発生しない諸問題を統一的に解決する唯一のルールが「日本囲碁規約」であると認知されているのも事実です。

 もしかすると、自然法則同様、将来このルールでは解決できない新しい問題が発見されるかもしれません。そのときはまた、さらに新しい概念が導入されるか、または全く斬新なルールが発明されることになるのでしょうが、どちらにしても、そのときもまた、新しい考え方に強烈な抵抗が起こるのは間違いないでしょう。



 かのアインシュタインでさえ、量子力学の基本原理「不確定性原理」について、「神はサイコロを振らない」と言って非常に強く抵抗を示したそうです。

 碁は、碁盤という宇宙の上で起こる様々な現象についての体系的研究が始まったばかりの段階ではないかと言う気がします。
碁の研究が進み考え方がどんどん進化する毎に、古い概念と新しい概念の衝突が起こることでしょう。
そして、そのたびにどんどん素人には手の出せない世界に入って行ってしまうのでしょうか・・・。



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